子どもとの暮らしと会話

子どもとの暮らしと会話 (角川文庫)

子どもとの暮らしと会話 (角川文庫)

発売がうれしくて、早速買って読んだ。
まだ読んでないかたが多いと思うので、たたみます。
銀色さんの、なんていうか…一般的な母親らしくないところをこころの拠り所にしてるわたし(笑)。
「これって自分だけ?」と思うことがよくあって、それはなかなか他のお母さんに言えないことだったりする(笑)。
気になったところを引用してみます。

親のひとつひとつの感想が、子どもの価値観の基礎を作ると思う。子どもの言葉を受けて発した親の言葉が、その子の考え方の方向を決める。こころに染みこんで色づける。だから、日々の会話がすごく重要だと思う。
私が心がけるのは、できるだけ前向きに建設的にフラットに偏見のないように客観的に、意見や感想を言うこと。ふだん、叱ったりする時は感情的にもなるけど、それと会話は違う。冷静な会話は、全部の言葉が教育だ。  〜“子どもとの会話”より

たーしーかーに!わたしも気をつけてはいることだけど、改めて肝に銘じましたよ。

「自分が世界の中心だからさ、自分のいるところが自分の世界なんだよ。世界は自分の周りに広がってるんだよね。だから、今と違うどんな状況になっても、そうなったら嫌だと思うような状況になったとしても、それはそれで、実際そうなったら意外とすんなりとやっていくんだよね、人って」  〜“自分の周りに、世界は広がっている”より

そうか、そう思ったら今の憂鬱な気持ちがちょっと楽になったよ(笑)。

私はどういうふうに老化していくのか、どういうふうに死へとむかっていくのか、興味があるけどな。老化も死も自然なことなんだから、たぶん嫌なことじゃないと思うんだけど。(中略)
成長=喜び、衰えていくこと=悲しみ、以外の見方ができにくいのはわかるけど、それにぼんやりと流されるままではいけない。本当に悲しいなら、その悲しみを正面から見据えるべきで、そうすれば、悲しみを通り越すだろう。
草は花を咲かせ枯れていく。枯れていくことに抵抗していない。淡々と、生きてきたように死んでいる。死ぬことも、生きることだ。死ぬことを生きようよ。  〜“成長”より

うーん、最近、やはり年齢的に、老いについて考えることがあるんだけど、こういう心意気でいたいなあと思った。
そして、この後半“草は花を〜”が「やっぱり詩人だねえ!」と思わせる表現だ。

今年は受験で大変、とか、大変ね、というお母さんがいて、びっくりした。なにが大変なのだろう。私の生活には何の関係もないのに。大変だとしたら勉強しなきゃ受からないところを受験する子ども本人だろう。カーカは自分の実力にあった学校を受けるし、勉強については親の私は関係ないし。いつもと変わらない。  〜“土曜日の午前”より

わが家にはカーカとひとつ違いの長女がいて、今年はいよいよ受験生になるんだけど、そう、銀色さんのようなひとがこういうことを言ってくれるとうれしいのです。だって、世間のお母さんたちってだいたい開口一番「まあ、受験なの!大変ねーえ」って言うんだもん。(ま、挨拶がわりだと思ってるのかもしれないけど、さ。)言われたほうは、それまでそう思ってなくても「…うーむ、やっぱり大変だよな」って暗示にかかるっていうか、「事は重大なんだな」ってことさらに考えちゃう(笑)。
だから、こういうさらっとした、フラットな気持ちでいようと思った。銀色さんの、「事実だけを見る」という姿勢を見習いたい。

人生観って本当は毎日すこしずつ変わってるんだよね。よく、何かを見たり体験して急に人生観が変わったっていうのは、努力したり、めずらしい景色を見たりして、すごく感動すると、長い間こころにたまってた古い埃や汚れがふるい落とされて視界がクリアになってこころが洗い清められたみたいになるから、そう思うんじゃないかな。埃や汚れをためずにいつも払い落としながら暮らしていれば、毎日がクリアでいられると思う。そうすると、なにかをきっかけにしていきなり大きく人生観が変わる、なんてことはなくなるんじゃないかな。   〜274ページ

なるほどと思った箇所。

どの親でもたぶんやっているこの「子どもの寝顔を見る」。子どもの寝顔をぼんやり眺める親。子どもを慈しむというのは、この時の気持ちじゃないかなと思う。子どもの寝顔を見ている時って、わりと心が真っ白で何も考えてない無の状態だ。なんともいえない安らぎ。静かなおだやかな愛情。子どもの寝顔を見ている時の人の顔こそ、親の顔だ。寝顔を見るというその瞬間を持てることが親としてのしあわせと言ってもいいかもしれない。それでもう十分かもしれない。感じられる気持ちとしては。  〜276ページ

ものすごく共感。

夕方の灰青色の山と薄いオレンジ色の空を車の窓から運転しながら見て、いつもいつもちょっと憂鬱な気持ちを抱えて生きてきたな〜と思った。いつか気分がぱっと晴れる日がくるんじゃないかと思いながら20代も30代もすごしてきた。きっとこれからも同じような気持ちで時はすぎていくのだろう。ぱっと晴れる日なんてこなくて。きっと死ぬまで淡い憂鬱の中をただようように。それが私の生きている気分なんだろうと思う。  〜279ページ

わたしも同じ。“淡い憂鬱の中をただよう”…いい表現だよねえ(笑)。
いつも、「自分って他人とはちがうのかも…」と思ってたけど、この一節でちょっと安堵した自分がいる。

子どもが親にただ見せる、見せたい。見て見て、これおもしろいよ、こんなになっちゃった、どうお? ……無心だ。ただ見せたい。ただそれだけ。そういう無心の表情や動作。これが寝顔の次の、子どものかわいさかもしれない。  〜330ページ

寝顔に次いで、これにも激しく共感。
世間一般の女性とは一線を画した生きかた、子育てをしてる銀色さんならではの考えを知ることは、自分にとって、力を得ることだとしみじみ思った。
あと、カーカとさくの性格の違いは興味深い。あまりに違いすぎていて(笑)。二人のこれからも、ますますたのしみ!
…と思ったら、あとがきに、終わったと思っていた『つれづれノート』が復活とあり小躍り(笑)!
結論。「ひとの日常はおもしろい。」これだ。